久田恵がつれづれなるままに書く書評です
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不思議な国のアリス

 

「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル 矢川澄子訳 (新潮文庫)

 

ウサギの穴に落ちたアリスは、どんどん落ちていく。落ち切ったら、「ワタシヲオノミ」の瓶があって、飲んだら、どんどん大きくなる。今度は「ワタシヲオタベ」のケーキがあって、食べたらどんどん小さくなる。

ついには、自分の流した涙に溺れてしまう。

「不思議の国のアリス」は、冒頭からこんなふうだ。奇想天外な展開で、おまけに登場するのは、自分勝手で、優しいものなど誰もいない。そんな世界をアリスは、一人で旅を続けるのだ。

この奇妙な物語の魅力に捕われて、「アリス」おたくとなって何十年。いく度も読んで、いろんな訳を読んで、とうとう出会ったのが、この矢川澄子訳の「不思議の国のアリス」だ。

平易でリズミカルな文体。やっと本物のアリスを知った気がした。そこにはコミュニケーション不全の世界を、自己完結して生き抜こうとしているひとりの少女がいた。

自分で自分を叱咤激励し、折り合いのつかない世界を生きる緊張を蓮っ葉な口調で緩和し、ひとりぼっちでけなげに旅するアリスだ。

「少女の孤独」の本質を熟知していた訳者は、自身も「不滅の少女」と呼ばれ、71歳で自死した。その矢川澄子の遺した名訳著である。

 テニエルの緻密な原画を下敷きにした金子國義の挿画も素晴らしい。

みんな、同じ屋根の下

「みんな、同じ屋根の下」リチャード・B・ライト著、堀川徹志訳(行路社)

 

 近頃、どんどん老いていく。あっけにとられるスピードで。なんというか、「肉体の衣のほころび」の速さに心(魂)が追いつかない、って感じで、時々、困惑する。息切れがする。私、どんなおばあさんになってしまうのかしら、と。

ところがいたのである。この小説の中に。そう、「サンセット老人ホーム」に未来の私が。

主人公のケイ・オームズビー、彼女は、記憶力の減退におびえながらも、文学や音楽を愛し、時に、ひとり詩を朗読する。難点はやめられない煙草(私は、とうにやめたけれど)。就寝前のウィスキー(私は、ワインか梅酒だけれど)。でも、これは、いずれも眠りを誘う妙薬なのだ。

ともあれ、断固、精神の自由を守るべく周りには我関せずで、出掛けたい時には勝手にお出掛け。老いるほどに、自己完結して生きる元女教師。ああ、と思う。私もこんな感じがいい、たぶん、そうなる。いや、そうなりたい。たちまち親近感を覚え、惹きつけられてしまった。

物語は、その彼女がホームに入居してからのわずか一ヶ月を描いたものだけれど、そこは、老人たちの記憶や妄想が縦横無尽に交錯する世界。その豊かさゆえに、現実にはなにが起こらなくても、日々がいつもドラマチックでおかしいのである。

そう、記憶とは過ぎ去ってしまったものではなく、それぞれの心身に刻まれたもの。

老いとは、そのたくさんの記憶の「私」と共に生きていくことか。十代の私、二十代の私、四十代の私、六十代の私・・・、たくさん「私」がいるから、多少、記憶が消えても問題ないかも。誰にはばかることなく、勝手に、はらはら、どきどき生きればいい。人生には、老いた分だけ、甘い記憶もすっぱい記憶も、いろいろとりそろっているから、はたから退屈そうに見えても、きっとたいくつなんかしないのだろうな。

「滅びゆく肉体の衣のほころびが 一つふえるたびに  

さらに 声を高くして歌うことだ」

 

読了後、冒頭に掲げられているW.B・イエイツの詩を主人公のケイ・オームズビーのように、私も背筋をシャンと伸ばして朗誦したくなるのだった。

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